« はな号の闘病日誌(190日目) | メイン | はな号 散歩 »
October 26, 2005
すき。
すきになるのはムズカシイ。すきになってもらうのはもっとむずかしい。
何かを好きになる時。無理矢理それを好きになる事はできない。好きなフリをしていてもやっぱりどこかで歪みがでてしまう。好きになるのには理由はいらない。好きってココロが云う時は好きなのだ。どーしようもない。ココロはコントロールできない。何が好きかを知る事はできる。自覚していなくてもそれが好きな事はたくさんある。逆に嫌いになる時。これも好きになるのと一緒で、無理矢理嫌いにもなれないし、フリをしててもやっぱり好きだし、嫌いになる理由はいらない。好きも嫌いも同じココロの動きらしー。だから制御できない。以前、脳には好きになる役割を担う場所と嫌いになる役割を担う場所が別れているというのを観たことがある。それは真逆の動きをしているのではなく、多分ひとつの判断基準、きっとそのひとの個性や人格がいずれかに振り分けているのだろー。ただ、好き/嫌いというココロの反応は大きな動きであって、その動きに満たないもの、どちらでもないは存在するのかというと微妙だ。好きでもなく嫌いでもないモノは存在する。それはその時点ではどーでもいいことなのかも知れない。だから反応が弱いのだ。究極どちらか決めれ!となればどちらかのジャッジはできるのだと思う。ただそれほどココロの動きはないのがどちらでもないなのかもしれない。
好きになってもらうこと。好かれること。これはムズカシイ。本当はできない事なのかも知れない。不可能。相手に好きになってもらうような振る舞いをしても相手がどう思うかはワカラナイ。だから無理なのだ。ただ相手の気持ちを察する事は大事。これは相手にとって自分が行うように思えるけど、実は自分のココロの事なのだ。相手を思いやるキモチは実は自分のココロ次第なのだ。どんな風に接するか、それは相手のよって変わるモノではなく、自分のキモチの変化によって変わっていくものなのだ。穏やかな時は相手に優しく接する事ができる。ささくれてる時は相手にも冷たく接してしまう。好かれようと思うのは無理だとしても、そーではなく、まずは自分を好きになるのが大事なのかも知れない。自分を大切にして、自分のココロを見つめ、色々なものに余裕がある事が大切だ。あ。宮沢賢治風味だw。わははー。結局、自分を好きになれないひとは、きっと他人に好かれる事もないって思うのだ。
なんとなーくそー思ったので書き残し。
投稿者 hi : October 26, 2005 04:24 AM
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://woorks.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/5549
