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November 11, 2005
夜空
だいぶ太ってきた月はとっくに沈んで、宙はまっくら。オリオンが少しななめに傾きながら南中。しばらく眺めていると眼が慣れて、たくさんの星が見えるようになってくる。本当は宙いっぱい星があふれてるはず。 ボクが何となく宇宙に興味があるのは、それがきっと手の届かないところにあるから、だ。人はこの星の上にあるものに対して調べつくし、名前をつけてきた。名前がついているものは他と区別をするためだ、つまり「既知のしるし」なのだ。まだ見つかってないもの、これから生まれてくるものは時間の問題で、きっと名前がつく。何故なら手に取れるからだ。だけど宇宙は違う。手に取ることはできない。行けてもまだ月まで。隣の火星にさえ、行けるかどうかワカラナイ状況だ。宇宙を知ることはきっと人間にはできない。あまりにも広いからだ。今観ているオリオンの7つの星の輝きも既に何十万年前、何百万前の光でボクが生まれるずっと前に放たれたひかりだからだ。ボクは今、ものすごい過去との間を共有しているのだ。今のこの時に決して見ることのできない途方もない過去の事象を観ているのだ。これはすごい。過去を体験する事ができる唯一の方法。それが星を眺めるということなのだ。もしかするとボクの目には輝いてみえる星も、今この時にはすでに消滅しているかもしれない。とても不思議。理屈や理論は何となく理解していても、好奇心が消える事はないのがボクにとっての宙だ。 宙を眺める度に、自分が小さく、とても些細なものだと感じる。自分中心になりがちだけど、宙を眺める事ができた時、そんなモノを一気に解放できるー。小さな存在のボクの中に溜まった色々なものを大きな大きな広い広い宙に解き放てば、あっというまに薄まるのだ。ボクはこの「夜」に生まれこの「夜」で死んでいくのかなーって想うー。ボクには長い時間も宇宙の壮大な流れの中では微小なことなのだ。そー想うと嫌なことも、苦しいことも、ツライことも、すぅーっと楽になる。 宇宙を語る時、それは僅かな人類の英知を掻き集めて、想像で話すのだけれども、やはり神話的な、宗教的な部分と切り離せないのは何となくわかる。それくらい人には手に負えないもの、それが宇宙なのだ。ワカラナイだけに神秘とするしかない、それが人間の限界なのかも知れない。知りたくても知らなくてはならないことが多すぎてとても知ることのできない、そんな宇宙にあこがれる。 やっぱり一度は宙に行ってみたい。この命のある間に一度は宙に行ってみたい。行けるかな?行けないだろーな。仕方ないから飛行機で我慢するとしようー。飛行機だって悪くないよ。どんなに悪天候でもそれは地上数十メートルの出来事。飛行機なら10分足らずで雲の上に出られる。そこには宙と繋がっている空があり、太陽があり、月があり、星がある。そしてそれはいつも変わらないー。雨が降っていると雨の事に囚われてしまうけど、雨の上の雲の上はずっと変わらないのだ。だから飛行機に乗ってボクはそれを確かめる。あることが判っていても確かめる。確かめて、また、想う、自分が小さいってことを。
投稿者 hi : November 11, 2005 04:14 AM
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